2016/10/18 (更新日:2016/10/18)
マーケティング上、第三者の敵は必要か。
患者さんの共感や同意を得る目的で文章を制作されるとき、仮想の敵を作り、その人を責めることで患者さんから共感が得られ味方になることがあります。
例えば、ある治療院は治療方法でボキボキする方法で治療しているとしましょう。『身体をボキボキしている院があるけれども本当は身体にとても負担がかかり悪いことだ。・・・だから、当院の治療はボキボキしないから安心です。』という内容です。第三者を否定し、自院の正当さを証明します。
ただ文章には、攻撃的な文章と守り的な文章があります。
攻撃は、ただ患者さんを攻撃している文章、患者さんを思いやるという名目で攻撃している文章、第三者を攻撃している文章とあります。
今回は、3つの攻撃的文章が患者さんにどのようなイメージを持たせるかについて詳しくお話しましょう。
【攻撃】ただ患者さんを攻撃している文章
例えば、『時間を守って来院できない、セルフケアはしない、来院頻度も守れない。』という方は患者さんでいらっしゃらないでしょうか。それで改善されないと先生に文句を言う方です。
攻撃的文章とは、怒りを感じながら、そのような方への改心させようという気を持つことなしに自分が正しいとただその人を責め、説き伏せることです。
攻撃している自分に優越感を感じやすいので自分より、弱い相手にやりやすいです。
ここでの『自分より、弱い』とは知識や技術が乏しい方で業界では、院長がスタッフにやりやすいことでもあるのでもしかするとそのような経験を思い出される先生もいらっしゃるかもしれません。
ほとんどの場合、先生より患者さんの方が身体に関しては知識は、乏しいでしょう。
患者さんは、先生が優越感を感じ、身体のどこが悪いかを攻撃的に言われると、それを嫌味に感じる方でしょう。
嫌味という言葉から連想しやすいのは、姑が嫁に味噌汁の味を指摘することに似ているでしょう。
これは、相手の健康へ考えや思いやりなしに話しているときに感じることで通常ではそのようなことは起こりづらいでしょう。
ただ、攻撃したいのか、相手のことを思いやるかの目的の違いで相手の受け取る印象が変わります。
【攻撃】相手を思いやるという名目で攻撃
これが最も厄介です。表面上では患者さんのことを考えて味方のように接するので一見、とても信用できますが攻撃することが目的なので言葉の節々にトゲがあります。この人は、直接的な言葉で攻撃するよりも人を惑わすように混乱させる方法を取るのでこの人の文章を読んでいると内容は理解できるのですが、何をしたら良いか全くわからない混乱状態になります。
なぜかというと、惑わしその人が良くならないことに喜びを感じるからです。
この内容に続くのが第三者の攻撃的文章です。
第三者を攻撃している文章
マーケティング上で第三者の敵がいると良いと言われますが、イメージではこのようなことです。
先程の相手を思いやるという名目で攻撃している例を先生と患者さんの例で表すとこのような例があります。患者Aさんと仲が良いですが、Bさんと仲良くなるためにBさんと話す時、Aさんの悪いところを話します。、Aさんとより仲良くなるためにAさんと話しているとき、Bさんの悪いことについて話している光景です。Aさんは先生を信用します。なぜなら、自分に秘密を話してくれているようだからです。Bさんも同じく信用します。
この内容は、最初にこう思われるでしょう。『人のプライバシーを超えて話しているから、信用できない。』と。ただ、プライバシーの問題を超えて自分を信用して話してくれている先生に好意を持つことです。
ただ、見識がある方は、それを見破るでしょう。
第三者の敵は、一見、信用できるように見えますが攻撃の仕方によって、表面上の判断しかできない患者さんしか集まらなくなり、先生が本当に集めたい見識があり判断される患者さんは来院されなくなってしまいます。
なぜなら、このように第三者を攻撃するための文章を制作していると文章から見識ある方はそれを見抜いてしまうからです。
この話は、技術でも知識でもありません。
間違っているということを勇気を持って「間違っている!」ということは正しいことですが、言い方を間違えると判断を誤りやすい人しか来院しない環境になってしまいます。
第三者の敵を作ったときに、人を攻撃するような文章を作りやすい傾向にあります。その理由は、第三者が明確でライバルだったり、あまり好意を抱いていない院であることが多いからです。
敵と言えば、憎しみある、相対的だったり、一度攻撃されたことがある相手にするでしょう。
もちろん、我々は人なので関係のないところに好意を持つことはないでしょうが、それによって、その人の責任範囲の広さが見えてしまいます。
もしも地域貢献を掲げていて、それに明確さがなければ、考えてみてください。ライバル院も地域の一部です。
第三者を攻撃していれば、患者さんなら何となく誰だか想像するからです。考えと言動の相違に患者さんは、違和感を感じます。
第三者の敵を持つことは、悪いことではなく比較によって良いところがわかります。ただ、使い方を間違えてはいけないことだけ注意点があります。